« うれしいけど悔しい | トップページ | フォーム改造へ »

2005/10/20

ビリヤードでの記憶力

前回の記事に対するまるさんのコメントで少し考えてみたのだが、ビリヤードには記憶力が必要だと思う。それは、球の配置がこうなっていて、入れてから手球をここにポジションして・・・と細かく覚えるものではない。個人的には、手球の動きを記憶する力が役に立つように思うのだ。例えば、引いた、押した、力加減など、撞き方がわかれば、手球の動きだけでどこに的球が散っていたのかだいたいわかる。できるだけ無理のないように手球を動かすだろうし、邪魔な球にキスしないコースをなるべく進められるようにコントロールする。そうしたものをトータルすることによって、その配置は記憶として思い起こすことが簡単になるのだ。

ビリヤードは、記憶をたどってプレーするものだとも感じている。配置を前にしたら、以前撞いたときの記憶や、似たような配置の記憶を呼び起こして、うまくいった時の状況に近いかたちでプレーしようとする。その繰り返しだと考える。だから、「できた」記憶が鮮明なものほど、うまくいくことが多い。逆に言えば、多くの配置やポジショニングをうまくこなしている姿を記憶すればするほど、プレーの上達も早いというわけだ。また、記憶するというのは、そこで実際にプレーしていなくてもできることだ。例えば、今日相撞きしたときの配置を思い出して、そのプレーを振り返るというのは、代表的なものだろう。そこで失敗したこと、成功したことを記憶することによって、次のプレーに活かされるような気がする。成功していれば、自信を持って撞けるようになるだろうし、失敗した配置なら、慎重に撞くことができる。だから実際の練習時間が少ない人でも、記憶による上達は可能だといえるのかもしれない。もちろん、失敗しているからちびるという記憶もあるが・・・。

また、先に個人的な意見として述べたが、この記憶は特に手球のポジショニングで大事な要素になると思う。ビリヤードのテーブルは狭いけれど、手球の動き方は多種多様だ。だけど、このポイントにこう手球が入ったら、だいたいこのラインを通るという一定の法則みたいなものはある。それをどれだけ記憶するかというので、手球出し方にも影響していると思うのだ。きっと記憶というと難しいように思うのだが、「出し」を考えるとき、なんかしらの過去のものに頼って考えているはずだ。それが記憶なのだと考えるわけだ。なんだか難しくなってきてしまったなぁ・・・。書いている自分も、いまいち支離滅裂になってきているかも。

最近は、ビリヤードばかりで打つ機会は減ってしまったが、実は昔から囲碁を打っていた。囲碁には、棋譜というものがある。例えば、有名なプロなどの対局の最初の1手から終わりまでが書かれているものだ。こうした有名なものから、自分で打った対局まで、棋譜というもので記録して覚えるというのも上達法のひとつだったりする。棋譜自体は、数字の羅列のように見えるのだが、それは並べて行けばイメージとして覚えられる。ここで攻めたとか守ったとか、板の中の石の状況と照らし合わせて覚えていくのだ。だから何? と言われそうだが、ビリヤードの配置の覚え方というか、使い方とかそういうものが、この棋譜に似ているように感じるわけだ。実際にそこでその一手が打てるかどうか、その1球が撞けるかどうかは技術的な部分なのだけれど、その一手、1球を知っているかいないかというのは、大きなことだと思う。だからといって、すべて記憶したほうがいいというわけでもなく、そんなことは普通の人はできない。なんていうんだろう、自分なりの記憶しやすいやり方みたいなものを見つけて、重要な配置を記憶するだけでも、全然プレーが違ってくるのでは? と言いたいのだ。そのひとつの例として、僕は基本的に手球の動きをメインに記憶していると記したいのだ。まぁ、まだまだあいまいな記憶が多いのだけれど・・・。

|

« うれしいけど悔しい | トップページ | フォーム改造へ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17906/6488993

この記事へのトラックバック一覧です: ビリヤードでの記憶力:

« うれしいけど悔しい | トップページ | フォーム改造へ »